波良波神社はらはじんじゃ
御祭神豊玉彦命(大綿津見神)
略由緒
海宮を築いた大綿津見神は、別宮を設けて隠居したという逸話が残されている。それが波良波神社創建の縁起かは定かではない。また、仁位の浜地区にハロウ(ハロー)と呼ばれる場所があり、遺跡が発見されている。その点から、この付近に祀られていた可能性もあり、いつの頃か、和多都美神社境内に遷座したと考えられる。
濱殿御子神社はまどのみこじんじゃ
御祭神彦火火出見尊
略由緒
濱殿とは、大綿津見神の別の名である。御陵は、仁位の浜地区に鎮座する濱殿神社の地にあったと伝えられており、本殿付近から古代の箱式石棺が発見されている。その御子神という意味で、娘である豊玉姫命と彦火火出見尊が其々祀られている。本社と同一の御祭神であるが、この神社もまた、元は別の場所にあったと考えられる。
玉ノ井たまのい
豊玉姫命の侍女が水を汲むために井戸を覗いたところ、美男子が水面に映し出されたという。侍女は、豊玉姫命にそれを伝えると恋をして、父・豊玉彦命に頼み入れて海宮に招き入れて丁重にもてなした。その後、二柱の神様は結ばれ、鵜葺草葺不合尊が生まれたと伝えられている。また、その際に振舞われた御饗として、特殊神饌「龍宮御饗」が伝承されている。
【龍宮御饗(りゅうぐうみあえ)】彦火火出見尊が海宮を訪れた際に、豊玉姫からもてなされたお食事と伝えられる特殊神饌。阿曇氏の末裔が調製して、これを旧暦六月一日と旧暦十一月一日にお供えする。和多都美御子神社と濱殿神社でも同様に旧暦八月二十三日、二十四日にお供えする。
フナグロー(舟グロー)
追い込み漁等に使われていた和船であり、フナグロー船、伝馬船などとも呼ばれている。船の競漕神事であり、海底に身を隠されていると言われる海神を社殿に招き入れる「神招き」の神事と考えられている。古い形は、峰町木坂の海神神社の途絶しているフナグローであり、当神社のフナグロー神事は昭和40年代に整えられ、新たな神事として現在まで継がれてきた。
亀甲石
当神社を代々守護する阿曇氏(長岡家・平山家・山上家)の内、棟梁であった長岡家は、亀卜の大家とされる加志に鎮座する太祝詞神社の橘氏より亀卜を伝授され、近世には対馬卜部の一つとして名を連ねていた。亀甲石は、その亀卜の神事が上代より行われた場所と伝えられている。先代、長岡穂都美、平山靜磨までは亀卜が密かに行われていたとの口伝があるが、資料や亀甲の痕跡がなく定かではない。亀卜所としての神社は、仁位の長田地区に鎮座する阿恵神社が古く、阿連の雷命神社を勧請したと伝えられている。
夫婦岩と原生林
夫婦岩は古代の磐座である。いつの頃からか、豊玉姫命の墳墓と称されるようになった。口伝えでは、豊玉姫命は仁位の高山に祀られたというので、ここはその遥拝所のような場所として祭祀が行われていたのかもしれない。 原生林は、長崎県の天然記念物となっており、主木としてスダジイ、ウラジロガシなどの照葉樹やアズキナシ、ケヤキ、ハリギリ、イロハモミジなどの落葉樹など多くの種類の木々が息づいている。
磯良恵比須いそらえびす
阿曇磯良のご神体と伝わる不思議な石。社家文書には阿曇宿禰磯良について、「神功御共シテ朝鮮二渡ス」とあって、「諡号」を「戎比古命」といったことが記録されてる。つまり「磯良恵比須」の「恵比須」は諡号という可能性が濃厚で、ご神体という説が有力。 かつて、山上家の命婦が津波から磯良のご神体を守ったという伝説から「山上恵比須」とも呼ばている。
龍松たてまつ
拝殿横にそびえる龍のような大きな松の木。よく見ると根が神様の御神体がお鎮まりになる本殿の真下に伸びている。一般的には“根上がり松”として知られているが、ここまで一直線に伸びたものは非常に珍しい。この姿から“龍松(たてまつ)”と名付けられた。まさに「龍宮」を思わせる御神木。
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